2015年5月28日木曜日

謎の断水

こんな感じの集合住宅に住んでます。
昨日の昼ごろ、いきなり台所の水がでなくなりました。
前にも一度あったので、「またかぁ。。。」と素直に謎の断水に対応するのでした。

なぜ、謎かというと、台所以外は水がでるのです。
そして、翌日の朝には水がでるのです。

相方さん曰く、「タンクは一つ。多分家につながるパイプも一つ。。。」


何でやねん。
どういう原理でここだけ水止まるねん。




ふと他の国に住んでた頃を思い出す。
セネガルに住んでいた頃は井戸水でした。
停電も頻繁にありました。
ガスも時々不足して、街からガス缶が消えることも。。。
それでも、なんとなーく何とかやっていけたものでした。

ネパールの時なんて、「計画停電」という
これもまた謎の停電が毎日10時間とか。。。
もう電気に頼ったらあかんとさえ思えてくる始末。

それを思うとここマレーシアはインフラが整っております。

しかし、インフラの整備に関しては日本はぴか一。
停電してもすぐ復旧。断水なんてめったいにない。
ライフラインが止まることは許されない環境になるといってもいい。
逆に、ちょっと停電になったり、断水したりすると不安になる。
過剰なくらい。。。


でも、停電は別にいいけど、
水は困るよなあ。

次なる断水に備えてため水はかかせませんね。


2015年5月27日水曜日

2つの顔


ここキャメロンハイランドはクアラルンプールからバスで5時間のところにある高原地帯です。イギリス統治下に避暑地として開発されたところ。ちなみに、松本清張さんの小説にもでてくるそうです。


 一面の紅茶畑
こじゃれたカフェ
近所にあるラベンダーガーデン
週末は観光客でごったがえす…

中心地にはゴルフ場やレストランがたくさんあり、ホテルやコンドミニアムも立ち並んでいます。
いわゆるロングスティの場としても人気で日本の夏や冬を避けてこの地を訪れる人も多いです。
年間通して春のような気候で過ごしやすいからかな。
シンガポールから7時間かけてくる観光客も…

そんな観光地としての顔を持つ一方で
もう一つの顔がマレーシアの農業地帯であるということ。

写真がよくないですけど、山を削ってハウスだらけです。標高1500メートルとはいえ熱帯なので、春のような気候。ここでしかできないものも多く、いろんな野菜が作られてます。

でも、赤土だから大変そう…
しかも雨が多いから土砂崩れが…

そして、改めて思う、日本の野菜って味があるなと。


2015年5月25日月曜日

言語の嵐だ〜

このビールのポスターには、英語と中国語。
この看板には英語とマレー語。
これはマレー語だけ。
これは中華系レストランの看板。

首都にいけば、日本語も見かけるし、アラビア語も見かける。ほんとに、いろんな言語が飛びこんでくる。

人々の会話に至っては、もう何がなんだか。
中国語とっても、広東、福建、北京等など、たくさんある。もちろんタミル語もあれば、例えばボルネオ島サバ州ならばカザサン・ドゥスン族の言葉もあったり…

だからこそ、日本みたいにちょっと英語間違えて恥ずかしいこともないし、言葉の訛りで笑われるなんてことも少ない。

ちなみに、今住んでいるキャメロンハイランドのtringkapという街は広東語が飛び交うところ。私にはさっぱりわかりません。

先日も中国語でぶぁーぅと話しかけられ、さっぱりだったので、
「ごめんない、中国語話せません。」
すると、娘が英語で、
「その抱っこひもいいわね。どこで買ったの?」

年代によっては、話せる言語も違う。私たちの年代は基本英語ができるので、とても会話が楽。

でも、いろんな人と話したいなら、英語は必須で中国語とマレー語はおさえておきたいところだなと思う今日この頃なのでした。

2015年5月18日月曜日

帰ってきました

真っ赤なマレーシアに別れを告げたのが、もう2年も前の話。
すっかりご無沙汰してました。

マレーシアから静岡県に流れ着いた私たち夫婦。
そこでの1年半の生活は、忙しくもありましたが、
たくさんの出会いと新しい命を授かることができた
貴重なものとなりました。

そして、帰ってきましたマレーシア。
今度はボルネオ島ではなく半島の山の中、
キャメロンハイランドに居を構えております。

ほんとに、空をゆく雲のような、流れる水のような
生活をしているなと思う今日この頃。

ボルネオとはまた違ったここでの生活を少しずつ
書き留めていけたらなと思います。